燕産業は、遠く江戸時代の初期、農村の副業として始められた和釘の製造技術の導入に始まった、といわれています。たび重なる信濃川の水害で困っていた農村 の情況を改善するために、江戸より和釘職人が呼ばれ、和釘づくりが農家の副業として薦められ、燕地域に広まったのです。
和釘の大部分は燕・三条の問屋を経由して江戸に運ばれました。この和釘の生産は、元和年間(1615〜1623)の江戸地震・大火には災害復旧に大きく 貢献したといわれています。それ以降、江戸の数多くの大火によって釘の需要が増大し、著しく繁忙をきわめました。
釘鍛冶職人は近郷をあわせ千人とまでいわれ、徳川時代から明治初期までは、燕産業の約80%は和釘の生産で占められるに至り、福井県小浜市とともに東西の和釘の本場となりました。 |